“人には、大人になっていくにつれ諦めた夢の残骸が、船底にこびりついたフジツボのようにこびりついている”
こんな美しくない文ではなく、教科書に載るくらいだから著名な文筆家による名文だったのだと思う。全然きちんと再現しておらず、本当の筆者のかたには申し訳ない。
このうろ覚えの記憶のなかで確かなのは、人が船に、諦めた夢がフジツボに、喩えられていたこと。
フジツボのようにこびりついている夢の残骸。
フジツボやカサ貝が二重三重にこびりつき、イソギンチャクなんかもくっついていたりして、もはや元の船体すら見えないかもしれない。鎧のように覆い隠している。
心や魂を隠す鎧になっているかもしれない。
音楽の魂に触れるには、共鳴するには、自分の魂にこびりついているフジツボの残骸をはぎ取らなければならない。
ということを、殊にドビュッシーの音楽からは突きつけられる感じがする。
「星の夜」 まだ15歳頃のクロード・ドビュッシー。
きっとその両手には途方もなく広がる夢が載っていただろう。無数の夢が載っていただろう。干からびていない、みずみずしい夢。
清々しい香気の夜。
甘く、高く、やわらかく舞いあがっていくような。
自分のなかに現れる15歳のドビュッシー少年が問うてくる。
きみの夢はいま、みずみずしいか。
星は光っているか。