2016-12-30

横置きで作成した原稿を、縦に2部並べて縦置きA4用紙1枚に印刷する方法(word2016)

このタイトルでは意味がわかりづらいが…つまりこういうことだ。

A4用紙を横置きし、縦書きした原稿がある。

これを縦に2部並べてA4用紙に印刷したい。こんなふうに。

 

その方法をいつも忘れる。「確か、こうするんだっけな」と思いながら印刷すると全然違うレイアウトになってしまう。
しかたなく検索するが、なかなかこの状況と同じ問題を解決してるアンサーに出くわさない。
世の中の原稿の大半は、縦置き&横書きらしい。

で、忘れないために、また、忘れてもここ見れば思い出せるように、やり方をここに記す。



1. まず印刷画面で「プリンターのプロパティ」をクリックする。
  すると表示される画面はプリンタによってまちまちだが、
  「ページ設定」タブをクリック → 「割り付け」を選択 → 「OK」

2. 印刷画面に戻るので、
  設定の項目で「ユーザー指定の範囲」を選択 →
  ページに「1,1」と入力する。ここ大事!

3. あとは印刷するだけ。おわり。

2016-09-19

「はみだしっ子」シリーズ / 三原順

10代のうちに出会っておくべきだと思う作品がある。

「アルジャーノンに花束を」とか。アルジャーノンを知ったのは20代になってからだった。そのプロットを知ったとき、
(これは高校生頃の、ぐんぐん栄養を吸収して育っていく心であるうちに、読むべきだった…!)
と地団駄踏みたいほど悔しかった。
感動はするだろう。何かを学ぶだろう。
(でも10代だった自分が受け取ったはずの、物事の見かた受け取りかたを大きく深く揺すぶるほどの影響は、もう受けられない)
と思ったのは、自分の生きかた、進みたい方向がもう定まりつつあることを感じていたから。

だからアルジャーノンはプロットを知ってから、長いこと読まなかった。
悔しさが薄れるまで読まなかった。


出会うべきときに出会えた幸運、それが『はみだしっ子』シリーズだ。
14歳で出会った。
14歳には歯応えがあり過ぎたと思う。でも魅入られた。
難解な比喩、抽象的な語句、つぎつぎ繰り出される言葉による概念の洪水。象徴的な絵、背景や表情や小道具。
何度も何度も、くりかえし読んだ。

大学生になって知り合った人と雑談の中で、お互いマンガ好きだとわかった。
「好きなマンガ、どんなの?」
「ええと……はみだしっ子っていうのがあって」
「あ、自分も読んでた」
この瞬間にかわした無言の会話。

《そうか、おぬしも読んだのか》
《おぬしもあの怒涛に身をゆだねたのか》
《奔流を泳ぎ切ったか》
《同志よ》

こんな会話を幾度かしてきた。新たな知り合いがはみだしっ子好きとわかるたびに。

世の中の人々は、二種類に分けることができる。
「はみだしっ子」を読んだ人と、「はみだしっ子」を読んでいない人と。




2016-08-07

幸せな日々でありますように!

これソチオリンピックの時に書いた(そして消した)。
リオ見て思い出した。のでタイトル変えて再掲。


     ・ ・ ・ ・ ・


今、冬季オリンピックの真っ最中だ。
TVニュースはオリンピックに占拠されてる感がある。大雪が降って関東の状況が心配だった時も、雪で孤立してる地域については二の次で、オリンピックでの日本選手の様子がトップで、大半の時間を割かれていた。
いいのかジャーナリズム。

まあそれは置くとして。

オリンピックにのぞむ日本の選手の密着番組やインタビューを見て、気になることがある。

「支えて下さる人達のためにも、メダルを取りたい」
「応援して下さる人達のためにも、頑張りたい」

と言う選手がものすごく多いことだ。というより選手みんなこの言葉を口にしてるんじゃないかな。

選手のこの気持ちは、尊いと思う。
支えや応援に対して感謝する心は、人として素晴らしい。
もし自分が選手に関わりのある人間だったら、そして選手のためにささやかでも貢献している人間だったら、選手からそう言ってもらえることは本当に嬉しいだろうと思う。

でも、ちょっと待って。  と思う。

アスリートというのは本質的に、勝負する存在だ。
「勝ちたい」という気持ちを何より強く持つ存在だ。
「試合に勝ちたい」であれ「弱い自分に勝ちたい」であれ、勝ちたい気持ちが強いから、何度でも試合に出る。
そして「勝ちたい」気持ちの強い選手が勝つ(もちろん実力があっての上で)。
ところが、ここに「支えて下さる人達のために」という一言が入ってくると、「勝ちたい」が「勝たねば」に変わってくる。

自分が勝ちたいから、勝ちたい。
皆が応援してくれるから、勝たねば。

自分自身の経験から言えば、また自分が関わった人々を見てきた経験から言えば、「勝ちたい」思いが強い時は勝てる。「勝たねば」の思いが強くなると、負ける。
そして当人には、自分が勝ちたいと思ってるのか、勝たねばと思ってるのか、区別がついてないことが案外多い。

誰かのために戦う、というのは美しいことに見える。それを否定はしない。
でも、誰のためよりもまず、自分がその競技を好きだから、世界最高の舞台でその競技できることが幸せだから、そこで自分が勝ちたいから、頑張るんだ。ということを忘れないでいてほしい。
周りの人達の思いを背負い込むことはない。

選手は、最後の勝負の場では、自分が戦い、その結果に責任を持つのだから。
責任を持つのは選手自身であって、周りの人ではないのだから。
ましてやTVの前でかってに応援している者ではないから。


なのに周りの私達は選手に
「支えて下さる人達のためにも、メダルを取りたい」
「応援して下さる人達のためにも、頑張りたい」
と言わせてしまっている。

選手がそう思ってくれるのは嬉しいけど、それを口に出してくれなくてもかまわないのにな。


     ・ ・ ・ ・ ・


未来になって、選手がこのオリンピックを思い出したとき、
「最高のパフォーマンスできたな」と自分自身を誇りに思ってくれたらいいな。試合結果がどうであれ、自分に打ち勝った誇りを。
弱い自分に勝ち、最高のパフォーマンスができた喜び、幸せ、の感覚と共に思い出されたらいいな。

2016-02-29

親から子への

親は、わが子がこの世に現れた瞬間からずっと何かを教え続けているね。

食べること。食べかた。飲みかた。
立つこと。歩くこと。行きたい(行かせたい)方向へ進むこと。
ことば。意味を知ること。声に出すこと文字に表すこと。
他人に対して名乗ること。挨拶すること。
年齢を訊かれたら指を何本か出すこと。質問に答えること。コミュニケーション。

親は、その死のときに、最後にして最大の教育をする。
どのように生きてきたか。どのように死に向かったか。
数十年の生が一瞬に凝縮され、圧倒的なものとなって我が子の前に現出する。


というふうなことを考えたのであった。わが親を見送ったあとで。(かなり以前の話)