男性作家が多く描く「健気な少女」がきもちわるい。そんな奴いねーよと思うし、そんなキャラクターに憧れたりもてはやしたりする人々が多い世の中も、きもちわるい。
『図南の翼』の珠晶はそんな「健気な少女」じゃないので、心落ち着いて読める。
十二国記シリーズに登場する少女達は、爽快な読後感を残してくれる。
中でも抜きん出て爽快さを感じたのはこの本を読み終えたとき。
珠晶が健気な行ないをしないわけではない。が、「健気」というものに含まれがちな悲壮さや自己犠牲的な雰囲気は、珠晶にはほとんどない。
たとえば、見捨てられた人々のために砂漠を一人駆け戻るシーン。悲壮さよりも、どちらかといえばワガママに属する感じだ。もし危険なことが起きて死んだら自業自得になっちゃうね、と言いたくなるような。
でもそのシーンの、「よくぞ駆け戻ってくれた!」と拍手したくなる清々しさ。
インターネット上で見かけたある映像を思い出す。
おそらく英語圏で撮影された映像。
「女の子らしい走り方をして見せてください」
とさまざまな年齢の男女に頼んでいた。
すると、十代後半以上の年齢の男女はみな、足をやや内股ぎみにし、肘を体に引き付け、くねくねっぽい動きで、あまり速くなく走った。
本物の女の子たち、10歳前後の女の子たちはどう走ったか。
全力疾走をした。
足も手も最大の速さで最大の動きで、彼女の能力を惜しみなく余すところなく解き放つ走りが、彼女にとって女の子らしい走り。
女の子らしさとは、自分自身らしさ。
珠晶も「女の子らしく走ってくれ」と言われたら、全力で走るだろう。
自分の持ってるものを余すところなく使っているか、愚痴なんか言う前にやるべきことを全力でやっているか、と問いかけてくるようだ。