大河ドラマは伝統芸能ではない。
公共放送が《毎年》大予算使い大宣伝して《新作を》出すドラマ枠。ということは、何を描いているのであれ「今」を映し出す作品だ。
同時代性を持つべきものだ。過去の表現をなぞり受け継ぐ種類のものではない。
その意味で、今年の大河ドラマは非常に大河ドラマだなと感じる。
第21回。
主人公が静かに言う「われもそなたも、人は皆、等しく卑しい」
生きることは簡単じゃない。生き延びるために人は他者から奪う。あるいは他者を引きずり落とす。卑しくなる。
これ、昔も今も変わらない真理だ。
だが奪い合わねば生きていけない状況のままで良いのか、と主人公は問いかける。
世を変えたい、と。
それに対して盗賊は「世!?」と呆れ顔で驚く。それはそうだ、人間一人の意欲で世の中を変えられはしないものな。
だが主人公は「やってみねばわからない」と高らかに言う。
諦める空気の強い、今の日本。
その閉塞感を吹き払う風が画面から吹いてくるようだ。
第22回。
まさに今、世界がぶち当たっている問題。
異質な考え方や文化を持つ集団どうしが出会う。ぶつかる。相手を嫌う。拒絶する。排除しようとする。
受容と排他。寛容と非寛容。
「相手を見ようとしないから怖れが生まれ、誤解が生まれる」そうだな、そこから憎しみまではほんの一歩だ。
「互いに近づいて相手をちゃんと見れば誤解は解けるのに」
集団でなくても、個人のレベルでも。
対話してなかなか話がかみ合わず、「あの人、めんどくさい。話ができない」と判定した相手へは、もう関わろうとしなくなる。
めんどくささを避け、その相手とは距離を取り、自分の平穏を保とうとする。
それで良いのか? と問いかけられる気がする。
相手を知ろうとし関わろうとする姿勢を手放してしまったら、社会は成り立たなくなるよ? と。
第23回。
ドラマとしては濡れ衣を晴らす話(活劇風味)だが、テーマは「濡れ衣を晴らそう」というものではないようだ。
テーマの一つは「上司の仕事は部下を信じることと責任を取ることです」かな。
もう一つは、こちらのほうがより重みをもって描かれていた、「職業の選択」。
安定した、しかし心に封じて我慢しなければならない事の多い生活か。
自由な、しかし経済的にも身分・立場的にも不安定な生活か。
社会のなかで生きる人間にとって心揺れる二択。
大半の人は前者を選び、だから社会は安定する。
だが後者を選ぶ人がいてこそ、社会は活性化し、多様性が保たれ、強靭になる。安定した社会は衰退へ向かうしかないから。
後者を選んだ登場人物の開放感、彼が今後ドラマにもたらすだろうダイナミズム。想像するとわくわくする。
深い。深いよ『おんな城主 直虎』。観る者の持ってる文脈や感性で、どのようにも読み取ることができる。
自分は同時代性を読み取った。べつの人はべつの見方をするんだろう。
さて来週はどうなるのか。
2017-06-17
2017-05-03
スウィングしなけりゃ意味がない / 佐藤亜紀
最終盤にさしかかった時、「エディ」と主人公の名を呼ぶ小声が聞こえる。
その場面を映像で観たい、と思った。
おそらく呟きにちかい声だ。力のない声だ。
だが、雑然とし様々な物音や人声が入り混じるなかで、主人公の耳をつかまえ振り向かせるほどのふしぎな力をもった声だ。
その声を聞いてみたい。
その声を発した人物は、どんな気持ちでその名を呼んだのだろうな。あの状況で。
その声を通して心を聞いてみたい。
音が、ずっとこの小説世界を支配している。たんなる音じゃない、スウィングする音、グルーヴする音、ビート音、
ピアノがかき鳴らされる音、精巧とはいえないラジオから出てくる音、蓄音機から出てくる音、
警報音、砲弾が建物を破壊する音、爆風に屋根が共振する音、
音に酔いそうな気さえする。
ナチス政権下のハンブルクで、ジャズを抱えて生きていたようなそれともジャズを道連れに生きのびあるいは死んでいったようなスウィングボーイズ。
ナチスの愚かさを笑い、ナチスの愚劣さに痛めつけられ、抗わず従わず。ただ音楽のもたらす自由にのみ仕える彼ら。
金銭と嘘と欲望にまみれているスウィングボーイズ。
透明感に満ちている。澄んでいる。彼らの音楽だけは嘘じゃないからだ、生命そのものだからだ。
その場面を映像で観たい、と思った。
おそらく呟きにちかい声だ。力のない声だ。
だが、雑然とし様々な物音や人声が入り混じるなかで、主人公の耳をつかまえ振り向かせるほどのふしぎな力をもった声だ。
その声を聞いてみたい。
その声を発した人物は、どんな気持ちでその名を呼んだのだろうな。あの状況で。
その声を通して心を聞いてみたい。
音が、ずっとこの小説世界を支配している。たんなる音じゃない、スウィングする音、グルーヴする音、ビート音、
ピアノがかき鳴らされる音、精巧とはいえないラジオから出てくる音、蓄音機から出てくる音、
警報音、砲弾が建物を破壊する音、爆風に屋根が共振する音、
音に酔いそうな気さえする。
ナチス政権下のハンブルクで、ジャズを抱えて生きていたようなそれともジャズを道連れに生きのびあるいは死んでいったようなスウィングボーイズ。
ナチスの愚かさを笑い、ナチスの愚劣さに痛めつけられ、抗わず従わず。ただ音楽のもたらす自由にのみ仕える彼ら。
金銭と嘘と欲望にまみれているスウィングボーイズ。
透明感に満ちている。澄んでいる。彼らの音楽だけは嘘じゃないからだ、生命そのものだからだ。
2017-04-06
『おんな城主 直虎』はすごいという話
恐るべきドラマだ。
実験的な作品の多い時間帯に放送される、低視聴率上等なドラマならともかく。
好きな人だけが料金払って移動時間使ってわざわざ観に行く映画ならともかく。
日曜日の夜8時、あのザ・夕食後のお茶の間で家族団欒しましょう枠で、こんなドラマやるのか…!
……攻めてるなNHK。
どこがどう恐るべきなのか。
今週4/2の第13話で、例にあげるのにちょうどよいシーンがあったので例にあげてみる。
ムロツヨシさん演じる瀬戸方久という豪商の初登場場面。
しかしこの人、豪商としては初登場だが、じつは初登場ではない。第2話で、凄まじくボロボロの、いざというとき命を差し出すために村で養われている存在(解死人)として登場していた。
「その方久がどうやって豪商に成り上がっていったか」を面白おかしく説明するアニメーションが挿入された。
方久はまず湖で魚を安く買い、それを売ってボロ茶屋を買い、茶を売り、次に戦場で食物や薬を売り、そこで拾った刀剣鎧を次の戦場で売り、ついには蔵が建つほど儲けた、と。
この説明アニメを見て「ほほ~、わらしべ長者か」と思った人がいます。ハイ、ここにいます。
しかし放送後のSNSでは、
「酒保商人(戦場の商人)は攫った人間を売買する。それが最大の商品。大河ドラマではさすがにそこまで言及できないか」
という意味のコメントがあった。
このコメントをした人には、方久が人身売買などで儲けてきた暗黒面を持つ人物、ということが見えている。
一方、わらしべ長者だと思った人(ハイ!)は、方久の言動から胡散臭さや酷薄さを感じはするものの、コミカルな雰囲気のほうをはっきり感じる。
SNS上のまたべつのコメントでは、このアニメの登場人物が方久以外は、鳥獣戯画のような獣に描かれている点に注目している意見が。
方久にとって他人は人面獣心である、と。それは方久が解死人で、人間扱いされてこなかったからだ、と。
このドラマは観る側の知識・経験・感受性・境遇などによって、見えてくるものが違うのだ。
解死人について知っているか知らないか。酒保商人について知っているか知らないか。
それによって方久の暗い部分が、大きく見えたりほとんど見えなかったりする。
ただ、見えなくても支障ないようにできているのが、このドラマのすごいところ。
方久の暗い部分はいずれドラマのなかで何かを引き起こす要因になるはずだ。
見えていれば「ああ、やっぱり」となるし、見えてなければ「こんな奴だったのかー」驚きの展開となってドラマを楽しめる(きっと)
日本史の知識を持っているかいないか。その中でも戦国時代の生活に関する知識を持っているか。
非言語コミュニケーションで相手の感情を読み取る技量を持っているかいないか。
高橋一生さん演じる小野政次は、考えていることを言葉にも表情にも出さないが、瞼の開け具合(閉じ具合)や頬の筋肉のかすかな動きで心の動きを見せている。
しかしドラマ内では、他の登場人物たちにはその心の動きは読み取れていない。だから視聴者も読み取れなくてもかまわない。いずれドラマのなかで彼の心の謎が明かされるはずだ。
だが今読み取れたなら、より切なさが増して物語に深みを感じられる(きっと)
受け手の状況によって、話の内容がまるで違って受け取られるもの。
それは《寓話》だ。
表層に現れた話だけを受け取るも良し。
深読みするも良し。
知識や感受性を駆使して自分的真相にたどり着くも良し。
深いところまで見てる人のコメントをSNS等で読んでなるほど~と唸るも良し。
表層に現れた話だけでも充分面白い。
戦国時代の新米領主が時代の大波に翻弄されながら懸命に泳ぎぬく物語。
教科書で言葉は習ったが具体的なイメージとしてはさっぱりわからなかった【検地】【徳政令】などがまさに目の前で、主人公の死活問題としてくり広げられる。
ミルフィーユのように何層にも重なった物語の、どの階層に行くかは、自由だ。
どの階層に行っても楽しめる。ひとつ深く降りるごとにまた楽しめる。
寓話的大河ドラマ。
実験的な作品の多い時間帯に放送される、低視聴率上等なドラマならともかく。
好きな人だけが料金払って移動時間使ってわざわざ観に行く映画ならともかく。
日曜日の夜8時、あのザ・夕食後のお茶の間で家族団欒しましょう枠で、こんなドラマやるのか…!
……攻めてるなNHK。
どこがどう恐るべきなのか。
今週4/2の第13話で、例にあげるのにちょうどよいシーンがあったので例にあげてみる。
ムロツヨシさん演じる瀬戸方久という豪商の初登場場面。
しかしこの人、豪商としては初登場だが、じつは初登場ではない。第2話で、凄まじくボロボロの、いざというとき命を差し出すために村で養われている存在(解死人)として登場していた。
「その方久がどうやって豪商に成り上がっていったか」を面白おかしく説明するアニメーションが挿入された。
方久はまず湖で魚を安く買い、それを売ってボロ茶屋を買い、茶を売り、次に戦場で食物や薬を売り、そこで拾った刀剣鎧を次の戦場で売り、ついには蔵が建つほど儲けた、と。
この説明アニメを見て「ほほ~、わらしべ長者か」と思った人がいます。ハイ、ここにいます。
しかし放送後のSNSでは、
「酒保商人(戦場の商人)は攫った人間を売買する。それが最大の商品。大河ドラマではさすがにそこまで言及できないか」
という意味のコメントがあった。
このコメントをした人には、方久が人身売買などで儲けてきた暗黒面を持つ人物、ということが見えている。
一方、わらしべ長者だと思った人(ハイ!)は、方久の言動から胡散臭さや酷薄さを感じはするものの、コミカルな雰囲気のほうをはっきり感じる。
SNS上のまたべつのコメントでは、このアニメの登場人物が方久以外は、鳥獣戯画のような獣に描かれている点に注目している意見が。
方久にとって他人は人面獣心である、と。それは方久が解死人で、人間扱いされてこなかったからだ、と。
このドラマは観る側の知識・経験・感受性・境遇などによって、見えてくるものが違うのだ。
解死人について知っているか知らないか。酒保商人について知っているか知らないか。
それによって方久の暗い部分が、大きく見えたりほとんど見えなかったりする。
ただ、見えなくても支障ないようにできているのが、このドラマのすごいところ。
方久の暗い部分はいずれドラマのなかで何かを引き起こす要因になるはずだ。
見えていれば「ああ、やっぱり」となるし、見えてなければ「こんな奴だったのかー」驚きの展開となってドラマを楽しめる(きっと)
日本史の知識を持っているかいないか。その中でも戦国時代の生活に関する知識を持っているか。
非言語コミュニケーションで相手の感情を読み取る技量を持っているかいないか。
高橋一生さん演じる小野政次は、考えていることを言葉にも表情にも出さないが、瞼の開け具合(閉じ具合)や頬の筋肉のかすかな動きで心の動きを見せている。
しかしドラマ内では、他の登場人物たちにはその心の動きは読み取れていない。だから視聴者も読み取れなくてもかまわない。いずれドラマのなかで彼の心の謎が明かされるはずだ。
だが今読み取れたなら、より切なさが増して物語に深みを感じられる(きっと)
受け手の状況によって、話の内容がまるで違って受け取られるもの。
それは《寓話》だ。
表層に現れた話だけを受け取るも良し。
深読みするも良し。
知識や感受性を駆使して自分的真相にたどり着くも良し。
深いところまで見てる人のコメントをSNS等で読んでなるほど~と唸るも良し。
表層に現れた話だけでも充分面白い。
戦国時代の新米領主が時代の大波に翻弄されながら懸命に泳ぎぬく物語。
教科書で言葉は習ったが具体的なイメージとしてはさっぱりわからなかった【検地】【徳政令】などがまさに目の前で、主人公の死活問題としてくり広げられる。
ミルフィーユのように何層にも重なった物語の、どの階層に行くかは、自由だ。
どの階層に行っても楽しめる。ひとつ深く降りるごとにまた楽しめる。
寓話的大河ドラマ。
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