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社会のなかで、とりわけ法治国家のなかで、
死刑の本質は何か。
死刑はどんな意味をもつか。
この問いへの答えを追求することで、この短編はできている。
ファンタジー小説《十二国記》シリーズの一作品だが、ファンタジー世界を描く側面は弱い。どちらかといえば哲学的な思考実験小説と呼びたいくらいだ。
主人公は司刑だ。そういう役職の人物だ。司法という役職の下で容疑者の刑を決定する役目らしい。
この話の軸となる人物がいる。殺人犯だ。たくさんの人を特に意味もなく殺してきた凶悪犯、言動からは罪の意識も良心もまったく見えないらしい。
副主人公は国民だ。 「この凶悪犯を死刑(作中では「殺刑」という語が用いられている)にしろ」 と圧倒的な声量で司法に要求する人々だ。主人公の妻が、この国民を代表する役割をになって「アイツを死刑にしろ」と主張し続けている。
さらにラスボスがいる。姿は見せない。かつては大ボスだったが、今はこの国に不吉な混乱をもたらし司刑たちを悩ませる元凶だ。国王だ。
このかつての大ボスが「死刑禁止」と決めていたのだった。
だのに、凶悪犯が登場した今、国王は「死刑でも終身刑でもどっちでもいい、もうどうでもいい、司法に任せた」と投げ出したので、司刑と同僚たちが悩んでいるのだ。
二人の同僚は、死刑賛成と死刑反対の立場でディベートを繰り返す。
司刑はそれを聞き、時には自らも議論に加わり、最終的な判断を下さねばならない。
この三人の議論と、主人公の悩む心情とが、この短編を構成している。
この作品の凄さは、議論が遅々として進まないことだ。
答えに向かって一直線に滑降したりしない。
ぐるぐると堂々巡りしているように見える、が、堂々巡りではない。ぐるぐる螺旋を描きながら一歩ずつというより半歩ずつ、慎重に、足が地から離れないように確かめながら、答えに向かって進む。それがどんな答えかはわからないまま。
社会が投げかけてくる問いには、そういう慎重さで答えに向かうべきではないか、と思えてくる。
ある時点で「これが正しい」と思えた答えだって後になってみれば「あの時、国は間違えたんだ」とわかることなんて歴史上ではしょっちゅうだ。
だから「これが正しい」と声高に主張ばかりして説得する議論を尽くさない人を見ると、それが行政や立法を運営する立場の人であればあるほど、危うく見える。
考えてみればこのシリーズは、「一足飛びに答えを求めるな」精神で貫かれている。
『図南の翼』のなかでははっきりと「(答えにたどりつく努力をせず)答えだけを訊くこと」は却下されていた。
遅々として進まない議論をメインに構成した作者の勇気。
冒険物語を期待する読者層からの批判は予想されたと思うが、よく書いてくれて世の中へ投げ込んでくれたなあとおもう。
先に答えを決めてしまってそれに向かって滑降するなよ。
議論を尽くそう。
そしてこの作品のファンタジーとしての側面を見れば、他の作品でちらちらと仄めかされてきた十二国世界の根幹に関わりそうな謎が、ここでもやはり顔を出している。
柳で何が起きているのか、劉王に何が起きたのか。
この一点において、この短編は『黄昏の岸暁の天』と地下茎でつながっているようだ。
……戴の反乱者たちの不可解さは、劉王の不可解さと同根ではないのか?
そんな疑問がわく。
十二国世界の奥にある謎は何なのだろう。いつ、明かされるのだろう。
楽しみな・・・