恐るべきドラマだ。
実験的な作品の多い時間帯に放送される、低視聴率上等なドラマならともかく。
好きな人だけが料金払って移動時間使ってわざわざ観に行く映画ならともかく。
日曜日の夜8時、あのザ・夕食後のお茶の間で家族団欒しましょう枠で、こんなドラマやるのか…!
……攻めてるなNHK。
どこがどう恐るべきなのか。
今週4/2の第13話で、例にあげるのにちょうどよいシーンがあったので例にあげてみる。
ムロツヨシさん演じる瀬戸方久という豪商の初登場場面。
しかしこの人、豪商としては初登場だが、じつは初登場ではない。第2話で、凄まじくボロボロの、いざというとき命を差し出すために村で養われている存在(解死人)として登場していた。
「その方久がどうやって豪商に成り上がっていったか」を面白おかしく説明するアニメーションが挿入された。
方久はまず湖で魚を安く買い、それを売ってボロ茶屋を買い、茶を売り、次に戦場で食物や薬を売り、そこで拾った刀剣鎧を次の戦場で売り、ついには蔵が建つほど儲けた、と。
この説明アニメを見て「ほほ~、わらしべ長者か」と思った人がいます。ハイ、ここにいます。
しかし放送後のSNSでは、
「酒保商人(戦場の商人)は攫った人間を売買する。それが最大の商品。大河ドラマではさすがにそこまで言及できないか」
という意味のコメントがあった。
このコメントをした人には、方久が人身売買などで儲けてきた暗黒面を持つ人物、ということが見えている。
一方、わらしべ長者だと思った人(ハイ!)は、方久の言動から胡散臭さや酷薄さを感じはするものの、コミカルな雰囲気のほうをはっきり感じる。
SNS上のまたべつのコメントでは、このアニメの登場人物が方久以外は、鳥獣戯画のような獣に描かれている点に注目している意見が。
方久にとって他人は人面獣心である、と。それは方久が解死人で、人間扱いされてこなかったからだ、と。
このドラマは観る側の知識・経験・感受性・境遇などによって、見えてくるものが違うのだ。
解死人について知っているか知らないか。酒保商人について知っているか知らないか。
それによって方久の暗い部分が、大きく見えたりほとんど見えなかったりする。
ただ、見えなくても支障ないようにできているのが、このドラマのすごいところ。
方久の暗い部分はいずれドラマのなかで何かを引き起こす要因になるはずだ。
見えていれば「ああ、やっぱり」となるし、見えてなければ「こんな奴だったのかー」驚きの展開となってドラマを楽しめる(きっと)
日本史の知識を持っているかいないか。その中でも戦国時代の生活に関する知識を持っているか。
非言語コミュニケーションで相手の感情を読み取る技量を持っているかいないか。
高橋一生さん演じる小野政次は、考えていることを言葉にも表情にも出さないが、瞼の開け具合(閉じ具合)や頬の筋肉のかすかな動きで心の動きを見せている。
しかしドラマ内では、他の登場人物たちにはその心の動きは読み取れていない。だから視聴者も読み取れなくてもかまわない。いずれドラマのなかで彼の心の謎が明かされるはずだ。
だが今読み取れたなら、より切なさが増して物語に深みを感じられる(きっと)
受け手の状況によって、話の内容がまるで違って受け取られるもの。
それは《寓話》だ。
表層に現れた話だけを受け取るも良し。
深読みするも良し。
知識や感受性を駆使して自分的真相にたどり着くも良し。
深いところまで見てる人のコメントをSNS等で読んでなるほど~と唸るも良し。
表層に現れた話だけでも充分面白い。
戦国時代の新米領主が時代の大波に翻弄されながら懸命に泳ぎぬく物語。
教科書で言葉は習ったが具体的なイメージとしてはさっぱりわからなかった【検地】【徳政令】などがまさに目の前で、主人公の死活問題としてくり広げられる。
ミルフィーユのように何層にも重なった物語の、どの階層に行くかは、自由だ。
どの階層に行っても楽しめる。ひとつ深く降りるごとにまた楽しめる。
寓話的大河ドラマ。