2013-11-17

なにわの源蔵シリーズ / 有明夏夫

上方落語を好きになったのは、桂枝雀師匠がきっかけだった。
桂枝雀師匠を知ったのは、落語ではなく、TVドラマ「なにわの源蔵事件帳」だった。
楽しいドラマだ。ほのぼのとあったかいが、湿っぽくはない。
大阪弁がほのぼのした柔らかい言語に聞こえる。

有明夏夫さんはこの作品で、明治初期の大阪を舐めるように描きたい、とおっしゃっていたらしい。
いろんな人々のいろんな暮らし。歴史の本に固有名詞の出てくるような人物は登場しない。

人力車の車夫。商家の旦那さん。居留地に住む外国人。天気予報する爺さん。芸子、めし屋の親爺、宮大工、、、
暮らしがあれば事件も起きる。源蔵が追いかけるのは盗難や詐欺などだ。血生臭い事件は起きない。
悪事を働いた者もどこか間の抜けているところがなきにしもあらず。横着者の人となりがうかがえるようで、「なんて悪い奴だ、許せん!」という気になることはそう多くない。

気を緩めてほのぼのしたい時に読む。

かつて出版されたものを作中時系列順に挙げておく。
「大浪花諸人往来」(角川文庫)
「狸はどこへ行った」(角川文庫)
「不知火の化粧まわし」(講談社文庫)
「京街道を走る」(講談社文庫)
「蔵屋敷の怪事件」(講談社文庫)
「脱獄囚を追え」(講談社文庫)
「汚名をそそげ」(新書らしいが不明…)

今ではもう抜粋本しか手に入らないようだ。特に最終巻「汚名をそそげ」は、長年探しているが全然…


2013-09-16

Alleluia / Busto

光のミスト・シャワーを浴びるような気がする。
きらきら、さらさら、気持ちがいい。

ハビエル・ブスト作曲の女声合唱曲。3分にも満たないくらいの小品だ。
短さと、女声のみの軽い響きが快い。
壮大な響きじゃないので、ひれ伏したくなるような陶酔感でもなく、昇天しそうな多幸感でもなく。さわやかな幸せ。

インターネット上で視聴できないかと探したが、見つからなかった。唯一見つけたのがこれ

  Alleluia / J.Busto

Amazon で数秒間だけ試聴できる。カンテムス少年少女合唱団の演奏のようだ。
数秒でも美しい。しかしテンポがやや遅めに感じる。もうちょっと速いほうが好みだ……

2013-08-06

時の娘 / ジョセフィン・テイ

歴史が好きなら楽しめる。謎解きが好きなら楽しめる。ユーモアや皮肉が好きなら楽しめる。
この本の最大の難関は、人名だ。

探偵さんとその助手達の名前はまだいい。
それぞれに個性的な名前がついているし、印象的なアダ名がついた助手もいる。区別しやすい。

問題は、容疑者と被害者とその周辺の人々の名前だ。
男性はほとんどがリチャードとエドワードだ。たまにジョージとかジョンとかヘンリーが出てくる。
女性はエリザベスだ。

つまりこういうことだ。
第一容疑者はリチャード。
その兄はエドワード、父リチャード、祖父リチャード、息子エドワード、甥エドワードとエドワードとリチャード。
被害者はエドワードとリチャード。・・・どのエドワードでどのリチャードかわからないだろう、ふふふ・・・大丈夫。
本の中では、被害者は固有名詞では呼ばれない。「二人の子供」「二人の少年」「二人の王子」などと呼ばれるので、彼らの固有名詞がエドワードとリチャードだということは忘れてもかまわない。

さて、人名の問題にはべつの側面がある。
このエドワード達とリチャード達とジョージその他には、お殿様名があるのだ。ヨーク公とか、ウォーリック伯とか、クラレンス公とかいう、かっこいいやつ。

ある登場人物(とあるリチャード)のことを、作者は「ウォーリック伯」と書いている。
リチャードと書いたら読者が混乱すると考えたのかもしれぬ。すでに混乱し始めていた読者にとっては、ありがたい。
読み進むうちにまたウォーリック伯が出てくる。ところが、つじつまが合わない。
(ウォーリック伯ってこんなに若かったっけ?) と首をかしげる。
…なんと、いつのまにか従兄弟の息子(とあるエドワード)がウォーリック伯を継いでいたのだ。せめて本人の息子ならわかりやすいものを。(よくよく系図を見たら、本人の孫であった)


薔薇戦争に関する知識もなく、シェイクスピアの「リチャード3世」を読んだこともない状態でこの作品を読んだ。
驚きは少なかったかもしれないが、素直に、リチャード3世の人柄に好感をもった。


強者の側が、声の大きい側が、都合良く書き変える歴史というもの。何千年の昔からそうだ。
だが、小さな文字でひっそりと生き残っている記録もある。それを丁寧に掘り起こしてもらいたいと思う、歴史に携わる方々には。

2013-06-11

スマリの森 / 遠藤淑子

動物を眺めるのが好きだ。一緒に遊ぶのもわりと好きだ(遊び仲間に向かないのもいる)。
動物を主人公にした物語もかなり好きだ。
しかし動物を主人公にした物語、いろんなタイプのものがある。

好きじゃないのは、動物の価値観や行動基準が「それ、まるっきり人間だろ」と言いたくなるタイプの作品。
動物を主人公にした意味がない。人間を主人公にしとけばいいじゃん。

だが動物の価値観や行動基準なんて、本当に知っている人間はいない。どうしてもある程度は、自分たちの考え方に引きつけて想像せざるをえない。そこは仕方ないところ。


「スマリの森」はちょっと風変りなマンガだ。
登場人物は、見た目は人間だ。
が、じつはキタキツネだ。
この設定、うまいなあ~といつも思う。
読む側は、イケメンさん(じつはキタキツネ)やかわいい男の子(じつはキタキツネ)に感情移入しやすくなるから、ちょっと人として変な行動をされても、仲間意識というか親しみをもって読み進められる。
そして人間ぽい言動をされても、見た目人間だからあまり違和感がない。


それにしても…遠藤淑子さんならではの絵の上手くなさ。じんわり気持ちが温かくなる話し運びの上手さ。



2013-04-09

平飼いの卵

ずっと前に、こだわりの養鶏農家さんから卵を頂いたことがある。
割ったら、黄身がレモン色だった。

普通スーパーマーケットで買う卵は、黄身がオレンジ色だ。


忘れた頃にテレビで、タレントさんが養鶏農家を訪ねた番組を観た。
鶏たちは野っ原というか、柵に囲まれてはいるが草ぼうぼうの空き地みたいな養鶏場を、所狭しと走りまわっていた。
昼を檻の中ですごしてはいなかった。

農家の人とタレントさんは、白いご飯の上に卵を割りおとした。
レモン色の黄身だった。タレントさんが思わず
「色が薄いですね」
と言った。
農家の人は答えて、
「うちの鶏は自然の草を食べるから。人工的な餌だと黄身が赤っぽくなるんです」
という意味のことを言った。


平飼いの養鶏農家さんと新たに知りあう機会があった。
その農家さんが育てている鶏の卵の黄身は、驚きのレモン色。クリーム色といいたいほど淡い色の卵もある。見慣れたオレンジ色の卵もある。
せっかくの機会だから色について尋ねた。
曰く、
「卵の黄身の色は何を食べたかによって違う。アメリカではコーンを餌にするのでレモン色。
うちの鶏には米を食べさせているが、自分で勝手に養鶏場に生えてる草を食べたり、ミネラル分を摂るために土を食うやつもいる。鶏は昆虫食で、たんぱく質を摂るために土をほじくり返して虫を食べる。個体によって食べているものが少しずつ違うので、卵の色も違ってくる。
しかし日本の消費者は、色の濃い、つまり赤みの強い卵ほど良い卵と思って、それを求める。だから皆さん餌に着色料を混ぜるんです。良心的な農家は、着色料といってもパプリカなどを使うんだけど・・・」


色についてはわかった。
オレンジ色だからといって不自然な卵とはかぎらない。
淡い色だからといって不健康な卵とはかぎらない。

この農家さんの卵を食べたら驚く。
生なのに! とろとろのはずの生なのに! 白身があまりにもプリップリで弾力があるので、かき混ぜてもなかなか混ざらない。
なんという生命力! と思ったことであった。
大地を走りまわる鶏たちの、元気さを分けて頂いているわけだ。

2013-03-12

あんずの花の匂う夜 / 鵜崎庚一・田中冬二

“匂うてくる” と歌う瞬間がとても美しい。澄んだ香気が立ちのぼる。

短い歌だ。
大きな古い家、暖色のランプの光のなかで、みんながいる。
というだけの。

やわらかく少し揺らぐ和声は、ランプの火の揺らぎなのか、みんなの笑い声の揺らぎなのか。
それぞれが心の中に抱えるものを持ちつつ、みんなでいることに安らいでいる、その揺らぎなのか。
揺らぎ漂っている響きがすっと焦点を結び、星が見える。空気があんずの香りになる。

いまこの歌を歌うなら、鎮魂の思いがこもるのではないか。
みんながいる。


2013-03-09

清少納言のことを考える

中学生は
「はるわあけぼのよーよーしろくなりゆくやまぎわすこしあかりて(以下略)」
と暗唱させられる。
たぶん日本中の中学生がそうなのではないかと思う。

高校生になると、古文の先生は必ず教えてくださる。
紫式部の源氏物語は「あはれ」
清少納言の枕草子は「をかし」
の文学です。と。
また、清少納言の特長は鋭い感性であると。

専門家の方々がおっしゃることだから正しいのだと思う。異論はない。
しかし、ちょっと言いたいことがある…

清少納言の特長を「鋭い感性」とのみ教えていいのデスカ?
あの人の精神の本質は別のところにあるのではないデスカ?

『枕草子』第一段を見よ。
中学生の苦行に用いられるその部分。
春、夏、秋、冬、を清少納言は鋭い感性であざやかに描き出してゆく。
そしてその感覚を、
「をかし」≒イイ感じ  「あはれなり」≒グッとくる 
等の言葉で表現している。すばらしい。

しかし、春夏秋冬をそれらの言葉で讃えておいて、最後に締めくくった言葉は…
「わろし」≒ダメだ

美しい風景を列挙したあとの、締めの言葉が。「わろし」
これ、このダメ出し精神こそが清少納言。
をかしよりも、鋭い感性よりも、ダメ出し精神。これが清少納言。

と愚考するのですが。どうですかね…?

2013-03-06

枕草子 / 清少納言

日本史上もっとも好きな人物は? と訊かれたら、答えは「いない」
だが、日本史上で2番目に好きな人物は? と訊かれたら「藤原隆家」だ。

なぜ2番目か。
言葉にするとあやふやな感じになるが… 1番好き!と断言するには、歴史上に大きな働きを残したわけでもないし、新たな道を切り拓いたわけでもないし、何かを成し遂げたわけでもないし、、、、
だが隆家卿より好きな日本史上の人物はいないので、1位無しの2位。

その藤原隆家の活躍を読める書物は、あまりない。
数少ない書物の一つが「枕草子」

1000年前の女性のミーハーっぷりを知るには、この本は最適。
清少納言さんは1000年前の美形ウォッチャーだ。頻繁に登場する美形は、隆家の兄の伊周。頭中将・藤原斉信。頭弁・藤原行成。そしてラスボス・藤原道長。
別格は、清少納言の雇い主でありクイーンである中宮・定子様。このうえなく讃えられている。

隆家少年は定子様の弟にあたり、ほんの数回だが「枕草子」に登場する。
おそらくやんちゃ少年で清少納言さんの好みとは違ったのだろう、登場回数は少ない。だが印象的な描写で、人となりがよくわかる。


美形についてだけでなく、ほとんどあらゆることに言及する清少納言。その審美眼の厳しいこと。
男性の立ち居振る舞い、女性の内面がにじみでる言動、
貴族の乗用車、庶民の家、月の光、鳥の鳴き方、虫の動き、等々すべてにダメ出しが。
蠅に文句をつける彼女。…その気持ちはわかる。

ちょっといらいらすることがある時など、枕草子を読むと、なんとなく笑えてくる。
ああ大昔から私達は似たようなことにイライラし、感動し、難癖をつけ、気にし、喜び・・・続けてきたんだなあ、と思う。


2013-01-19

Nuit d'Etoiles / Debbusy

ずっと昔、もぎたてトマトのようなみずみずしい夢をもっていた頃、国語の教科書でこんな意味の文に出会った。(うろ覚えの記憶だ)

“人には、大人になっていくにつれ諦めた夢の残骸が、船底にこびりついたフジツボのようにこびりついている”

こんな美しくない文ではなく、教科書に載るくらいだから著名な文筆家による名文だったのだと思う。全然きちんと再現しておらず、本当の筆者のかたには申し訳ない。
このうろ覚えの記憶のなかで確かなのは、人が船に、諦めた夢がフジツボに、喩えられていたこと。


フジツボのようにこびりついている夢の残骸。
フジツボやカサ貝が二重三重にこびりつき、イソギンチャクなんかもくっついていたりして、もはや元の船体すら見えないかもしれない。鎧のように覆い隠している。
心や魂を隠す鎧になっているかもしれない。

音楽の魂に触れるには、共鳴するには、自分の魂にこびりついているフジツボの残骸をはぎ取らなければならない。
ということを、殊にドビュッシーの音楽からは突きつけられる感じがする。

「星の夜」 まだ15歳頃のクロード・ドビュッシー。
きっとその両手には途方もなく広がる夢が載っていただろう。無数の夢が載っていただろう。干からびていない、みずみずしい夢。

清々しい香気の夜。
甘く、高く、やわらかく舞いあがっていくような。


自分のなかに現れる15歳のドビュッシー少年が問うてくる。
きみの夢はいま、みずみずしいか。
星は光っているか。