これソチオリンピックの時に書いた(そして消した)。
リオ見て思い出した。のでタイトル変えて再掲。
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今、冬季オリンピックの真っ最中だ。
TVニュースはオリンピックに占拠されてる感がある。大雪が降って関東の状況が心配だった時も、雪で孤立してる地域については二の次で、オリンピックでの日本選手の様子がトップで、大半の時間を割かれていた。
いいのかジャーナリズム。
まあそれは置くとして。
オリンピックにのぞむ日本の選手の密着番組やインタビューを見て、気になることがある。
「支えて下さる人達のためにも、メダルを取りたい」
「応援して下さる人達のためにも、頑張りたい」
と言う選手がものすごく多いことだ。というより選手みんなこの言葉を口にしてるんじゃないかな。
選手のこの気持ちは、尊いと思う。
支えや応援に対して感謝する心は、人として素晴らしい。
もし自分が選手に関わりのある人間だったら、そして選手のためにささやかでも貢献している人間だったら、選手からそう言ってもらえることは本当に嬉しいだろうと思う。
でも、ちょっと待って。 と思う。
アスリートというのは本質的に、勝負する存在だ。
「勝ちたい」という気持ちを何より強く持つ存在だ。
「試合に勝ちたい」であれ「弱い自分に勝ちたい」であれ、勝ちたい気持ちが強いから、何度でも試合に出る。
そして「勝ちたい」気持ちの強い選手が勝つ(もちろん実力があっての上で)。
ところが、ここに「支えて下さる人達のために」という一言が入ってくると、「勝ちたい」が「勝たねば」に変わってくる。
自分が勝ちたいから、勝ちたい。
皆が応援してくれるから、勝たねば。
自分自身の経験から言えば、また自分が関わった人々を見てきた経験から言えば、「勝ちたい」思いが強い時は勝てる。「勝たねば」の思いが強くなると、負ける。
そして当人には、自分が勝ちたいと思ってるのか、勝たねばと思ってるのか、区別がついてないことが案外多い。
誰かのために戦う、というのは美しいことに見える。それを否定はしない。
でも、誰のためよりもまず、自分がその競技を好きだから、世界最高の舞台でその競技できることが幸せだから、そこで自分が勝ちたいから、頑張るんだ。ということを忘れないでいてほしい。
周りの人達の思いを背負い込むことはない。
選手は、最後の勝負の場では、自分が戦い、その結果に責任を持つのだから。
責任を持つのは選手自身であって、周りの人ではないのだから。
ましてやTVの前でかってに応援している者ではないから。
なのに周りの私達は選手に
「支えて下さる人達のためにも、メダルを取りたい」
「応援して下さる人達のためにも、頑張りたい」
と言わせてしまっている。
選手がそう思ってくれるのは嬉しいけど、それを口に出してくれなくてもかまわないのにな。
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未来になって、選手がこのオリンピックを思い出したとき、
「最高のパフォーマンスできたな」と自分自身を誇りに思ってくれたらいいな。試合結果がどうであれ、自分に打ち勝った誇りを。
弱い自分に勝ち、最高のパフォーマンスができた喜び、幸せ、の感覚と共に思い出されたらいいな。