2011-06-26

命あること

忘れられない話がある。
何年も何年も前、新聞の投書欄に載っていた。書いたのは年配の男性だった。

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太平洋戦争の話。
その男性は、日本兵として南方の島の激戦地にいたそうだ。
食糧は底をついていた。果実だの芋だの食べられるものはその島には無かった。何も無かった。
暑く湿度の高い土地で、病気にかかる人もいた。敵兵に見つかれば殺された。
飢えと、病気と、銃弾が、ずうっと彼らの部隊につきまとい、一人また一人と命を奪っていった。

何日も食べず、飢えながらジャングルをさまよっていた彼と戦友は、ある日、べつの部隊の日本兵に出会ったが。
その日本兵はすでに息絶えていた。敵の攻撃を受けたと思われた。血がずいぶん流れて地面を変色させていた。
身体の下に、背嚢があった。
彼と戦友はその背嚢を開けた。

食糧があった。
米。

赤い米だった。
血が背嚢の中にまでしみこんで、赤く染まった米だった。

彼らはその米を食べ、飢えから救われた。

戦争が終わり、日本に帰り、もう命をおびやかされることなく、まあ幸福な生活を送っているその男性は、祝い事の赤飯を見るたびに、あのジャングルで食べた赤い飯を思い出すそうだ。
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男性の投書はこのような内容だった。
血に染まった飯を口に入れた時どんな気持ちだったとか、今の自分が赤飯を見てどんな気持ちになるとか、そんなことは書かれていなかった。
軽々しく言葉にできることではないのだろうな、と思った。

赤飯は、何かを祝って食べるものだ。
あの日あのジャングルで、偶然は彼らに赤い米を与えた。偶然というのがいやなら天がと言い替えてもいい。神様がと言うべきか。
何かを祝って? 命あることを?

平和な幸福なある日、家族に祝い事があって赤飯が食卓に供される。そのとき彼は、かつての自分もあの日祝されたのだなと、感じることはあっただろうか。
それとも、たくさんの僚友が死んで自分は生きのびてしまった・・・という苦い思いにとらわれたただろうか。

背嚢の持ち主の魂は、あの光景を見ただろうか。自分は命を落とし、自分の食糧のおかげで見知らぬ人間が命をつなぐ。自分がその食糧で命をつなぐことはもう、叶わない。

血で祝された食事、と思うとなんだかきもちわるく感じられる。だがそんなこと感じるのは戦争を知らずにすんでいる者の傲慢だろうな。
実際には、生きるためのこと、ただそれだけのシンプルなことだったにちがいない。

命はひとつの奇跡だ。生きて在るということは、世界中で祝福したっていいくらいだ。
震災直後、生きて見つかる人がいるたびにわたしたちは喜んだ。
海上を漂流していた犬が助けられたとき、どんなに日本中が笑顔になったか。世界も。


だが命がこんな祝いかたをされてしまう。戦争の中では。